2年前にTwitterで知り合った、同い年で・同じ病気で・同じ病院に通う(主治医は違うけど)、友人が亡くなった。
20代後半での乳がん宣告。
抗がん剤で髪が抜け、変わる自分の姿への恐怖から治療放棄。
全身への転移・再発。
治療費を稼ごうと思うも就労についてはドクターストップ、だったら私が社長になる!と起業。
不思議な巡り合わせで彼女の会社(サバイバー写真館)のモデル第一号にさせて頂き。
そのご縁で懐かしい友人とも再会。
乳がん・ステージ4で抗がん剤治療を続けながらの精力的な活動を見習いたいと思うことも多々。
彼女がスキンヘッドに素敵な花を添えている写真から、私も傷口にペインティングした写真を撮りたいと撮影をお願いしたり。
昨年9月には『リレー・フォー・ライフ』と云うサバイバー関連のイベントに彼女経由でお声を掛けて頂き、一般人の自分が登壇。同じサバイバーであり同年代の方との交流も出来ました。
2月頭に入院していると聞き、お見舞いに行こうと打診するも「ちょっと弱ってるから…また元気なときに来て」と断られ、それなら『暖かくなったらパンケーキ食べに行こうね』と口約束。
約束、果たせなかった。
2月末からの緩和病棟への転院、主治医から「あと2~3日でしょう」と言われながらも20日も生きてくれた。頑張った。
聞けば、2月半ばに外出許可を取って写真館の依頼をこなしたらしい。
あぁ、彼女はちゃんと夢を叶えたんだ。
病気と共存しながら、生きる道を探りながら。
お通夜の日、彼女の幼馴染や同級生たちと彼女を交えて結構長い間お喋りした。
(私は病気になってからの彼女しか知らなかったから、学生時代の話が聞けて楽しかった)
――でも。
本音を言えばもっと生きて欲しかった。
治療を放棄したことによる当然の結果なのかもしれない。
乳がん宣告から6年、彼女は生きた。
祭壇に並ぶ数多の花に、彼女が若くしてこの世を去った事実が表れている。
生きて欲しかった、それは生者の我侭なのかもしれない。
お通夜で流れた彼女のこれまでの軌跡に涙が流れた。
同じ軌跡のムービーなら披露宴でも流れるのに、なんでこんなに悲しい想いで見なきゃならないんだろう。
こうして泣くなら嬉し涙がいいのに。
私たちの使う抗がん剤は基本的に頭髪を含め、毛が抜ける作用の強いものが多い(知ってると思うが私だって全身脱毛したんだぞ~!)。
眉毛も、睫毛も。
けれど穏やかな顔で眠る彼女の瞼には、しっかりと睫毛が生えていた。
――緩和病棟に入る前、彼女の治療の薬は尽きていたから。
脱毛の作用がなくなったから、きっと細胞が元気に仕事したんだろう。
睫毛、生えてて良かったね。
自分の睫毛ちゃんと生えたじゃん!
2年近く休みなしの治療で、もうすっかりご無沙汰だった彼女の毛に、なんだか妙に嬉しくなってしまった。
R.I.P.
My dear friend.
Forget 0323
彼女の火葬の日、よく晴れた空だった。
ありがとう、さよなら。
いつかはそっちに行くから、それまで
またね。
参加してます
にほんブログ村 にほんブログ村PR